産地
1500年の長い歴史を築き上げてきた越前和紙の特徴の1つとして、紙祖神「川上御前」を祀る越前和紙産地の心がここにあります。
川上御前の伝説
(紙祖神 川上御前)
全国に数ある和紙産地の中でも、1500年という長い歴史と、最高の品質と技術を誇る越前和紙。その発祥について、伝説が伝えられています。
― 継体天皇が男大迹王(おおとのおう)として、まだ、この越前に潜龍されておられたころ、 岡太川の川上の宮が谷というところに忽然として美しいお姫様が現れました。
「この村里は谷間であって、田畑が少なく、生計をたてるのにはむずかしいであろうが、清らかな谷水に恵まれているので、紙を漉けばよいであろう」と、自ら上衣を脱いで竿にかけ、紙漉きの技をねんごろに教えられたといいます。習いおえた里人は非常に喜び、お名前をお尋ねすると、
「 岡太川の川上に住むもの」と答えただけで、消えてしまいました。それから後は、
里人はこの女神を川上御前(かわかみごぜん)とあがめ奉り、 岡太神社を建ててお祀りし、その教えに背くことなく紙漉きの業を伝えて今日に至っています。 ―
越前和紙産地ではこの川上御前をただの伝説の神様だとは思っていません。本当に紙漉きの業をお伝えになり、今日の越前の生業の基をお授けになられた紙祖の神業として尊崇しています。川上御前のご神体は、美しい稚児のお姿であり、そのお姿を模したご分霊の像は、どこの紙屋でも一番高いところに鎮座されております。この下で越前和紙職人は和紙造りに励むのであります。
紙祖神 岡太神社・大瀧神社
(本殿・拝殿)
岡太神社(おかもとじんじゃ)は、この里に紙漉きの技を伝えたといわれる「川上御前(かわかみごぜん)」を全国の紙業界から崇められる紙祖神として祀っています。神体山である権現山の頂上にある奥の院と、そのふもとに建つ里宮からなっています。奥の院には紙祖神(しそしん)岡太神社と大瀧神社の両本殿が並ぴ建ち、里宮はこれを併せて祀っています。里宮は、江戸時代後期の社殿建築の粋を集めて再建されたもので、昭和59年国の重要文化財に指定されました。
神と紙のまつり
(神輿渡り)
紙祖神を祀る岡太神社・大瀧神社の祭礼は1500年の古いしきたりを今も連綿と受け継いでいる、全国でも数少ない祭りです。
33年毎の「式年大祭」(御開帳(おかいちょう))、50年に一度の「御神忌」(中開帳(なかがいちょう))には「法華八講(ほっけはっこう)」などの行事が神仏習合の式定のまま厳修されます。
毎年の春・秋の祭礼も五箇の里を挙げての祭りとなりますが、とくに県の無形民俗文化財に指定されている春祭りは「神と紙の祭り」として大いに賑わいます。
お札のふるさと越前和紙
越前和紙は、男大迹王(おおとのおう・後の継体天皇)が越前地方を統治していたとされる5世紀末ごろには紙を漉き始めていたと思われ、最初は写経用紙を漉いていたと考えられます。そののち公家武士階級が紙を大量に使いだすと紙漉きの技術、生産量も向上し、「越前奉書」など最高品質を誇る紙の産地として、幕府、領主の保護を受けて発展してきました。そして、日本最古の藩札「福井藩札」や明治新政府の「太政官金札用紙」が漉かれたのもこの越前「五箇」の地です。
その後印刷局紙幣寮の設置となって、日本の紙幣と越前和紙は密接な関係となりました。このような長い歴史と伝統の中に育まれた越前和紙の里では、品質、種類、量ともに日本一の和紙産地として生産が続けられています。
越前和紙の魅力はたくさんあります。
越前和紙の里にて、越前和紙を感じてみませんか?